剣道では、どうして面・小手・胴・突きしか打ってはいけないの?

剣道の有効打突部は「面」、「小手」、「胴」、「突き」の4箇所と決まっています。剣道が日本刀を用いた真剣勝負を模したものなら、これら4箇所だけでなく、どこを打っても良いのではと主張する人もいますが、なぜそうしていないのでしょうか?

また、このようなルールがあるが故に、「剣道は真剣勝負のための修錬とは程遠く、単なるスポーツだ」といった指摘をする人もいますが、実際のところどうなのでしょうか?

 

1.まず剣道の成り立ちを理解しよう。

とかく我々は、真剣勝負では大きく刀を振りかぶり、一撃で相手を仕留めるように、力を込めて刀を斬り下ろす姿を思い描いてしまいます。真剣で一刀両断に巻藁(まきわら)や青竹を斬る様はなんとも勇壮で、戦場でも実際にそのようにしていたのではないかと考えてしまいがちです。

しかし、いざ自分が真剣を持って相手と対峙し、生きるか死ぬかの攻防を繰り広げることになったときに、果たして重い真剣を振り回して捨て身で相手に斬りかかるでしょうか?剣道でも闇雲に竹刀を振り回すと、打突が外れたときに簡単に面を打たれてしまいます。同じことが真剣でも言えるわけで、そのような危険がある剣の操法を、敢えて稽古で覚えようとするでしょうか?

ほとんどの人は「いいえ」と答えるでしょう。その通り。そんなことは恐らく誰もしないはずですし、稽古の意味がありません。

ではどうするのか?多くの人は、いかに相手の動きを止めるかをまず考えるでしょう。しかもその効果は一時的で構いませんし、仕留めるのはその後で十分です。

剣道における竹刀稽古の目指すところは、まさにこれです。真剣勝負においても、はじめの太刀では、相手に致命傷を負わせる必要はなく、いかに相手を素速く打突し、一時的に戦闘能力を奪ったり、姿勢を崩したり、気力を萎えさせたりするかが重要になります。そこで先人達は、そのような技法やタイミングを体得するための稽古法として竹刀稽古を考案し、発展させてきました。

剣道をやっている人であれば誰でも体感する通り、竹刀稽古で自由に打ち合うことで、微妙な打突のタイミングや駆け引きを知ることができます。その稽古を積むことは、実際に真剣を用いた勝負においても、少なからず大きな意味を持ったに違いありません。

実際、幕末の動乱期には竹刀稽古が盛んに行われたという記録があります。竹刀稽古は形稽古や組太刀稽古ではなかなか学ぶことができない「打突の好機を捉える」のに役立ち、なおかつそれが真剣勝負の勝敗を決める上で非常に重要な要素であったためと考えられます。

 

2.剣道の打突部位が、面・小手・胴・突きの4つである意味

真剣勝負を想定するなら、打突部位を限定せず、どこを斬りつけてもいいではないか?と思う人もいるでしょう。

しかし逆に、打突部位を限定しても、斬りつけるときの剣の操法を学ぶことができる、とも言えるはずです。基本的な斬りつけ方は、

  • 腕を使った上下の振り
  • 手首を中心とした小さな上下の振り
  • 斜めの振り
  • 突き

の4つです。

腕で振り上げ、姿勢を崩さずにまっすぐ相手に斬りつけることを学ぶなら、正中線上にある最大の急所である頭部を、手首を使った小さな打ちを学ぶなら小手を、右手の返しで斜めに打つことを学ぶなら胴を、そして剣で相手を突くならのど元を突くことを学ぶことで、剣の操法の基本はすべて修得できるはずです。

また、安全を確保しながら激しく相手と打ち合い、その中で正しい打突を学ぶことを考えると、防具で守られていない足や二の腕などを打っていたのでは、相手が怪我をしかねず、稽古が続きません。

つまり、今の有効打突部は集約の結果であり、安全に気兼ねなく相手を打突するために、敢えて防具で守られている部位を打つようになったと考えるのが自然です。

このように考えていくと、4つの打突部位に限定した竹刀稽古には相当の妥当性があり、素速く斬りつける動作を学び、激しい稽古をしていくために、十分に考慮された結果であるということがわかると思います。

スポーツ化をする中で、真剣勝負とはかけ離れたルールができあがったわけでは決してないのです。


3.剣道は「剣の理法の修錬による人間形成の道」

以上のように剣道の成り立ちや、稽古の持つ意味を突き詰めていくと、「剣道が真剣勝負のための修錬とは程遠い」とする主張は甚だ的外れで、現代剣道の中心を成す竹刀稽古が、真剣勝負をいかに有利に進めるかを体得するために、長い年月をかけてこのような姿になったということ、そしてそれは、人を生かす「活人剣(かつじんけん)」という側面があることがわかってきます。

ちなみに活人剣とは、「武器を持っていても、むやみに相手を殺傷せず、刀をどうしたら使わずに済むかを考える」ことや、「本来人を殺傷する目的のための刀剣を、使い方によって人を生かすものとして働かせる」ことを意味します。剣道で学ぶ剣の操法は一撃で相手にとどめをさすものではなく、あくまで相手の動きを止めるためのものですから、そう言われるのだと思います。

全日本剣道連盟が定義する剣道の目的に、「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である」と謳われている理由はここにあると思います。

 

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